金氏 (新羅族)
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金氏(こんし、きんし)は、日本の氏族のひとつ。古代新羅王族の姓が由来の氏である。武蔵国埼玉郡の新羅人で天平5年(733年)に金姓の賜姓を受けた[1]。
出自
[編集]- 新羅系帰化人の氏族伝承
奈良時代に帰化した新羅人は存在したが、多くは京都に住み、また多くは東国の開発をした[2]。そのなかには新羅王族金氏始祖の金閼智の子孫を称する氏族がおり、金氏を名乗った[2][3]。天平5年(733年)には武蔵国埼玉郡の新羅人徳師等が金姓を要求し、これが認められた[4]。天平宝字2年(758年)には武蔵国に新羅郡(現在の新座市)を置かれ、金氏も移住した[2]。
- 新羅王族金氏の匈奴渡来説
1954年に山西省で見つかった新羅文武王陵碑や唐故金氏夫人墓銘の新羅の各種金石文などでは、新羅王族金氏が匈奴から渡来してきたと記録されており、韓国の学者には、積石木槨墳の副葬品と匈奴系との類似性などを根拠に、新羅王族金氏の匈奴渡来説を指摘する意見がある[5][6][7][8][9]。これについて、韓国の公共放送局KBSがドキュメンタリーを報道したこともある[10][11][12]
脚注
[編集]- ^ 『続日本紀』天平5年6月2日条
- ^ a b c 豊田 1971, p. 36.
- ^ 太田 1934, p. 2395.
- ^ 『続日本紀』天平五年六月丁酉
- ^ “흉노왕의 후손 김일제 유적을 찾아서”. 新東亜. (1999年8月). オリジナルの2017年8月22日時点におけるアーカイブ。
- ^ 趙甲濟 (2004年3月). “騎馬흉노국가 新羅 연구 趙甲濟(月刊朝鮮 편집장)의 심층취재 내 몸속을 흐르는 흉노의 피”. 月刊朝鮮. オリジナルの2012年1月19日時点におけるアーカイブ。
- ^ “洗濯板として使われてきた新羅文武王陵碑の上部発見”. 中央日報. (2009年9月4日). オリジナルの2022年2月28日時点におけるアーカイブ。
- ^ “김운회의 '대쥬신을 찾아서' <23> 금관의 나라, 신라””. プレシアン. (2005年8月30日). オリジナルの2012年1月19日時点におけるアーカイブ。
- ^ “경주 사천왕사(寺)사천왕상(四天王像)왜 4개가 아니라 3개일까”. 朝鮮日報. (2009年2月27日). オリジナルの2014年12月30日時点におけるアーカイブ。
- ^ “제1회: 2부작 문무왕릉비의 비밀 - 제1편: 신라 김씨왕족은 흉노(匈奴)의 후손인가?”. KBS. (2008年11月22日). オリジナルの2012年5月24日時点におけるアーカイブ。
- ^ “제2회: 2부작 문무왕비문의 비밀 - 제2편: 왜 흉노(匈奴)의 후예라고 밝혔나?”. KBS. (2008年11月29日). オリジナルの2012年5月21日時点におけるアーカイブ。
- ^ “채널돋보기 신라 김씨 왕족은 흉노의 후손일까?”. 毎日新聞. (2008年11月21日). オリジナルの2014年12月29日時点におけるアーカイブ。
参考文献
[編集]- 太田亮「国立国会図書館デジタルコレクション 金 コン キン コガネ カネ」『姓氏家系大辞典』 第2、上田萬年、三上参次監修、姓氏家系大辞典刊行会、1934年、2395-2396頁。全国書誌番号:47004572 。
- 豊田武『苗字の歴史』中央公論社、1971年。